| 藤枝市観光ガイド 『岡部宿のひなまつり』 | ||||||||||
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| 岡部宿のひなまつり(藤枝市 岡部) | ||||||||||
| ★『岡部宿のひなまつり』をご覧になるにあたって | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
何年前のことだったか、生まれてから30歳を過ぎるまで、雛人形など、全くというほど興味のなかったわたしですが、山口県の萩の旧家で飾られていた雛人形を見た時に、地域や時代により異なる人形の姿に、ちょっとした興味心を抱いたことを覚えています。 そんなわたしの前に、2006年2月、突如として現れたのが、この『岡部宿のひなまつり』で飾られていた、ひとつの雛人形でした。 たまたま夕方の情報番組を見ていて映ったその人形の姿は、幼い頃から抱いていた、わたしの雛人形という概念を拭い去るのに余りある映像で、この人形の姿に、なぜか心を揺り動かされ、翌日には、すぐに現地へと出かけていました。 その人形こそ、この「岡部宿のひなまつり」で展示されている、「等身大の雛人形」でした。 そんな気にさせる人形も初めてなら、それ以後、繰り返し見てみたい!と思った人形もこの「等身大の雛人形」が初めてで、未だ他にそういう出会いはありません。 そこまでこの人形に惹かれて行った背景には、この人形の持つすばらしさもあるのですが、今思うと、もっと奥深い想いが感じられたからにも思えます。 「岡部宿のひなまつり」は、毎年、東海道の21番目の宿場町である「岡部宿」の、「大旅籠 柏屋」(おおはたご かしばや)にて行われます。 「岡部宿のひなまつり」は、この柏屋で、毎年2月から2ヶ月間開催されるイベントなのですが、全く趣向の異なる2つの雛人形が、この柏屋の部屋いっぱいに飾り付けられます。 その1つが、この「等身大の雛人形」となっています。 柏屋において、この「等身大の雛人形」の展示が始まったのは、実はつい最近の2006年からでした。 実に37年振りに、地元岡部での展示となったその年に、わたしはこの人形に出会ったのですが、恥ずかしながら、初めてこの「等身大の雛人形」を見に行った時に、案内の方に、「あの人形の好光(よしみつ)さんが・・・」と言われても、ピン!ときませんでした。 しかしながら次に、「知りません?よしが3つで・・・」と言われ、「あぁ〜あの・・・」と、頭の中で1本の糸が通っていくように気付いた自分がいました。 CMの恐ろしさ?でもあるのですが、人形のCMだったということは定かではなかったのですが、このキャッチコピーはすぐに思い出せ、一気にすべてが結びついていくような感じで話が見えてきました。 静岡に住む方なら、「顔よし、衣装よし、値段よし。「よし」が3つで好光」のコピーは、ご存知の方も多いのではないでしょうか。 この「好光」は、農家を営んでいた初代「たけじろう」が、明治の中頃の1896年に、「天神人形」の制作をはじめて以来、4代にわたって100年以上の歴史を持つ 「駿河雛人形」の老舗です。 もともと岡部町をはじめとした志太地区は、天神どころとして知られていたところで、特に衣裳を着た天神さまの制作が有名で、他ではあまり例のないことから、「駿河の天神」とか「志太の天神」とか言われてきました。 その後、雛人形づくりが盛んになっていき、現在に至っているのですが、「好光」は、そんな「駿河雛人形」の名店であり、岡部宿の旧東海道沿いに工房を持ち、静岡の駅前にも店舗を構えるほどのブランドとなっています。 しかしながら、そんな名店の看板以上に、わたしには、あのキャッチコピーの方が、どうやら有名だったようです。 そんな「駿河雛人形」の老舗の2代目で、この「等身大の雛人形」を作ったのが、 「好光」こと、「藪崎好光(好太郎)」でした。 人形師として半生を生きた後、50歳近くになると3代目へと道を譲り、自らは町議会議員になるなど、活躍の場を広げていきました。 そんな中、56歳となった1957年に、「好太郎」から「好光」へと改名を遂げ、ここに「好光人形」が誕生しました。 その後も、人形関連の協会や組合の理事長などの役職を引き受け、人生の成功者として、晩年を迎えるつつあった最中、突如、一見道楽とも思える、この「等身大の雛人形」づくりが始まりました。 この「等身大の雛人形」は、「好光」が、4年10ヶ月の年月をかけ完成させた力作で、全15体の雛人形の誕生の裏には、数々の苦労がありました。 特に、活人形ならではの苦労も多かったらしく、胸や肩などの膨らみ加減は、大鋸屑をノリと混ぜ合わせたものを、塗っては乾燥させ、繰り返し繰り返し納得のいくまで作業が続けられたといいます。 好光は、家族の手も借りながらこれらの作業をこなしていき、最小限の人数で制作を続けながら、1969年12月に、4年10ヶ月の歳月をかけ、この活人形である「等身大の雛人形」を作り上げました。 完成後、お披露目の場として、「岡部体育館」にて雛段に飾り付けられ公開されましたが、その後は、飾るにも相当なスペースと高さを要することもあり、今は無き浜松の「松菱」や静岡の「田中屋(現:伊勢丹)」などで公開されることもありましたが、大半が蔵に眠ることとなりました。 そんな中、制作から40年近くの時が流れ、人形の扱いに困った藪崎家の方から、2005年7月に岡部町に寄贈されると、2006年2月、実に37年ぶりに地元岡部の町で、この「等身大の雛人形」のうちの7体が、「大旅籠 柏屋」にて公開されることとなりました。 そこで、わたしはこの雛人形に出会ったわけですが、翌2007年には、わたしを含め多くの方の望みにこたえる形で、「内裏雛」(だいりびな)2体、「三人官女」、「五人囃子」、「随身」(ずいじん)2体、「仕丁」(しちょう)3体の全15体が、期間限定ながら公開されることとなりました。 この2007年の展示にて、わたしは運命的な人形に出会うこととなりました。 それが、この3体の「仕丁」人形でした。 「こんな雛人形 ありなんだ〜!」 これが、正直なその時の感想でした。 一般庶民であるわたしには、雛人形の姿は、どこかかしこまったものであり、眺めるものであり、対峙するものでしたが、この「仕丁」人形は違いました。 とても親しみがわくとともに、5段目のこの列なら、一緒に並んで酒でも飲めるかな・・・と、そんな気にさせてくれる人形でした。 目の前に居た「仕丁」の姿には、とにかく驚かされた訳で、笑う・泣く・怒るの表情にも見えつつも、通常の「立傘」(たてがさ)・「沓台」・「台笠」(だいがさ)を持つ「仕丁」の姿はそこには無く、どうみても飲み屋の座敷の一風景・・・といった感じの雰囲気に、なんとも言えない居心地の良さと、愛着を感じました。 他の人形たちと比較して見れば見るほど、この一見アンバランスに思える組み合わせの中に、この「等身大の雛人形」のすばらしさが感じられ、このことがこの雛人形に、何倍もの輝きを与えているように思えました。 それは、「仕丁」がいなかった2006年の展示では、感じられなかったものであり、また、意図的とも思えるこの演出を成しえた、制作者である人形師「好光」という人物が、たまらなく知りたくなったキッカケでもありました。 その普通と違うところに、また「内裏雛」などからは想像できない組み合わせの中に、単にスゴイね・・・、大きいね・・・、キレイだね・・・で終わらない、この「等身大の雛人形」の魅力があり、輝きがあるように思われます。 そこまで計算したのかどうか・・・、単なる遊び心だけだったのか・・・、人形師「好光」の制作の本意はわかりませんが、記憶に残る作品・・・とは、まさにこれであり、わたしにはこの演出がたまらなく心動かされるものであり、心憎くさえ思えます。 山形県の村山市の「むらやま雛まつり」でも、人形師「好光」の手による大型雛人形が飾られると聞きました。 人形師「好光」の心に迫るべく、今度山形を訪れた際には、是非ともそれらの人形たちを見比べてみたいと思っています。 2007年の公開にて、3体の「仕丁」人形に出会い、人形師「好光」の心を感じたわたしは、いつしか、ある一人の人物の一生を、この「好光」に重ねてみるようになりました。 その人物とは、江戸時代の商人であり、晩年測量家として「大日本沿海輿地全図」(だいにほんえんかいよちぜんず)の制作に生涯を費やした、「伊能忠敬」(いのうただたか)でした。 商人として、人生の成功者であった伊能忠敬は、50歳を過ぎてから、全く畑違いの測量の世界に飛び込み、師に教えを乞いながら習得した学問により、全国行脚の末、あの偉業を成し遂げました。 人形師「好光」も、人形師として成功をおさめた後の65歳から、前述のように、制作方法が全く異なる「活人形」の人形師に師事し、一から習得した技術により、4年10ヶ月の年月を費やして、あの「等身大の雛人形」を作り上げました。 わたしは、この2人の人物のことについて、特別明るい訳ではありませんが、人生の成功者であったこと、なのに人生の安泰期に入ってからも好奇心旺盛で、新たなことへチャレンジしていったということ、そして自分が成そう・・・としたことに対して、しっかりとカタチとして答えを出し、後世に残していったということにおいて、2人の人物を重ね合わせ、どこか同じ匂いを感じとっていたのかもしれません。 これらは全くわたしの個人的な考えですが、この2人の先人の生き方の中に、自分が進むべき道を探し求めていたのかもしれません。 話は戻りますが、そんな「等身大の雛人形」の登場により、ちょっと影が薄くなりつつあるのが、この「岡部宿のひなまつり」で飾られるもう1つの雛人形である「御殿飾」です。 「京都御所」をイメージしたという、渡り廊下で繋がった白木の3棟の御殿と、その前に配された45体の人形が、およそ雛人形というイメージとは程遠い感じで飾られていますが、もともとは、現在のような5段飾り・7段飾りという雛壇は、武家風の関東の飾りつけであり、関西では、このような御殿の中に「内裏雛」を飾り、その前に嫁入り道具などを並べるのが一般的な飾り方でした。 またよく言われることですが、内裏雛のうち、男雛を向かって左側に配するのが関東流で、関西では右側に配していました。 そんな関西流の雛人形である「御殿飾」は、まるで大名行列のように連なった牛車の列と、それを眺めているかのような御殿内の官女などの人形のひとつひとつが、強烈な個性を放っており、一体一体、人形たちの姿を目で追っていると、そこには動きが感じられ、やがて物語を連想させます。 保存の良さもピカイチで、とても150年も前のものとは思えない輝きが感じられるこの「御殿飾」ですが、畳4畳をも占領するそのスケールで、この「岡部宿のひなまつり」には、欠かすことの出来ない雛人形として、毎年多くの人を楽しませてくれています。 是非じっくりと時間を割いて、眺めてみて欲しいものです。 尚、「等身大の雛人形」もそうですが、訪れる際には、「岡部宿のひなまつり」の展示期間等、事前に確認してから出かけてみてください。 余談ながら、今回は久々に、記事を書きつつ、この「岡部宿のひなまつり」の雛人形のすばらしさをどう伝えるべきか・・・と、かなり考えたのですが、当たり前のことながら、やはり見てもらうしかないなぁ〜という感じで、なかなか筆を走らせることができませんでした。 今までにも、立山の「雪の大谷」の執筆の際など、幾度かこういうことはありましたが、2〜3日考え、現地、現物を・・・ということで、再度この人形を見に柏屋へと向かいました。 そして、15体の雛人形を眺めつつ、とにかくこの15体の表情を伝えたい・・・と思い、全15体の顔のアップ写真を、雛壇風に並べてみることにしました。 それが下の写真なのですが、そこから上記文章を書くことができました。 完成した年のお披露目以外では、高さの問題もあり、ちゃんとした雛壇としては飾られてこなかったこの雛人形ですが、いつかこのような形で再現されることを祈りつつ、最後にもう一度、人形師「好光」が作り上げた「等身大の雛人形」の世界を、一体一体の表情を確かめながら感じてみてください。
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