| 富士宮市観光ガイド 『狩宿の下馬桜』 | ||||||||||
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| 狩宿の下馬桜(富士宮市) | ||||||||||
| ★『狩宿の下馬桜』をご覧になるにあたって | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
富士の裾野に壮大な伽藍を見せる「大石寺」の北、「白糸の滝」とのちょうど中間地点あたりの県道75号線沿いに、一本の有名な桜の木があります。 「狩宿の下馬桜」は、鎌倉幕府を開いたことで知られる「源頼朝」が、1193年に、この富士の山麓で巻狩りを行った際に、陣屋に戻り下乗して門前にあった一本の桜の木に馬を繋いだとされる桜の木で、そのことからこの名が付いたとされ、また馬を繋いだということから「駒止めの桜」とも言われています。 また別の言い伝えとしては、頼朝が富士の山野を巡った際に使用した桜の杖を、この地に刺しておいたら、それがやがて根付き成長して花を咲かせた・・・という伝説も残されています。 いずれにせよ頼朝ゆかりのこの桜の木は、推定樹齢1000年とも言われており、毎年たくさんの花を咲かせ、わたしたちを喜ばせてくれています。 かつては、目通り8.5m、枝張り東西22m、南北16mもあったとされ、1952年3月29日には、国の特別天然記念物に指定され、日本最大の山桜とも言われましたが、度重なる台風などにより損傷し、現在ではその面影は感じられない程の大きさとなってしまいました。 徳川幕府最後の将軍となった15代将軍「徳川慶喜」は、この桜の木にちなんで、「あわれその 駒のみならず 見る人の 心をつなぐ 山桜かな」と詠んでいますが、大きさこそ違えど、今も昔もこの桜の木は、見る人々の心を繋ぎとめています。 そんな桜の木の向こう側に、「狩宿の下馬桜」と言われる所以となった巻狩りの際に、頼朝一行が本陣を置いたとされる場所が残されています。 現在の建物は、江戸時代に焼失後再建されたものとされていますが、風格ある表門の「高麗門」と、それに続く長屋は実に立派な造りとなっており、豪族だった井出家の歴史を物語っています。 歴史あるこの地の雰囲気を盛り上げる意味でも一役かっているこの建築物、是非ともこちらも珍しい造りとなっていますので、近くでご覧になってみてください。 「狩宿の下馬桜」を訪れる際の楽しみとして、桜の鑑賞や井出家の高麗門を見ること以外に、もうひとつ楽しみがあります。 この菜の花畑は、景観づくりの一環で、花見の時期に合わせ田んぼに植えられているものなのですが、桜の花とのコントラストが実に美しく、青空とともに、桜の花の美しさを倍増させてくれています。 同じような試みは、「河津桜まつり」をはじめ、全国各地で見受けられますが、一本の名木のために、これだけのスケールでお膳立てしているというところが、さすが「日本五大桜」と思わせるところでもあります。 また、菜の花畑を巡りながら、視点を桜の木から移すと、そこには雄大な富士の風景があり、菜の花畑に浮かぶ富士山の光景は、「狩宿の下馬桜」に負けず劣らず美しいものとなっています。 「大石寺」や「富士美術館」など近くには桜の名所があちこち点在していますが、若干開花時期が異なることもあり、なかなかこの「狩宿の下馬桜」一本のために遠くから訪れるのは難しいものですが、毎年桜の開花に合わせて、田楽や茶会などのイベントも催されていますので、是非歴史ある一本の桜である「狩宿の下馬桜」を見に、富士の裾野を訪れてみてください。 |
- 狩宿の下馬桜 -![]() 『旅シュラン』とは?
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