9/5放送 『星ナビ★第23回』

相良油田油井

FM77.7MHz「VOICE CUE エフエムみしま・かんなみ」の「星ナビ★~あの街、この町、ここ最高!!」の9月5日の放送は、プチ旅シリーズとして、東部エリアからはなかなか足が向かない、駿河湾の反対側に位置する「牧之原市」の相良地区についてお話ししました。

冒頭で、相良のおみやげである「ワイロ最中」を持参し、なぜか?・・・ということで、相良藩の初代藩主である「田沼意次」についてお話ししました。

相良藩主として、現在でもその名が残る田沼街道や港の整備、町の防火対策や養蚕業・製塩業に力を入れた田沼意次ですが、600石の旗本から57000石の老中にまで上り詰めた人物で、教科書などでその名が登場することから、良くも悪くも多くの人がその名を知る人物です。

老中としては、今までの農民からの年貢の取り立てでは財政立て直しが難しいとの判断から、商業重視で、景気を刺激し、規制緩和で内需を拡大させ、商人を富ませてそこに課税し、見事幕府の財政を立て直した人物でもあります。
なんとなく今の日本のような状況下にも思えますが、近代日本の先駆者として、かなり先見性のある改革を行ったと評される人物です。

また、「白河の 清き魚も 住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき」との狂歌が有名ですが、ノビノビ自由な町人文化が花開いた時期でもあり、田沼政治があったからこそ、今に伝わる江戸のよき文化も数多くあると言えます。

しかしながらわたし自身そうであったように、田沼意次=ワイロというレッテルを、学校教育の中で貼られてしまっていたために、どうしても良いイメージを持つ人は少ないようです。近年の研究では、だいぶ功績が認められ再評価されていますが、それでも浅間山の大噴火や天明の大飢饉が重なり、松平定信により追い込まれ失脚した後に、ここまでかというくらいコテンコテンにおとしめられたことが、そのまま今に悪い人物として伝わってしまったように思えます。

歴史というものは、勝者の歴史・・・と言われるように、都合の悪いモノは消されます。それは人物に限らず、建築物や文献など多岐にわたります。田沼意次も例外では無く、相良のお城をはじめ田沼家の痕跡はことごとく消されていき、かろうじて陸奥国へと減俸・移封され家は残りましたが、その名を良く評するものは少なく、松平定信により作られたイメージが数多く残されてきたように思えます。

実際問題、静岡県人で、田沼意次が相良ゆかりの人物であることを知る人は、ほとんどいないと思います。また、相良在住の方でも、田沼意次には触れて欲しくない、知って欲しくないという方も多いのが実情です。

個人的には、高度経済成長時の自民党の金権政治のたぐいにも似たものかと思えますが、もちろん悪い面はありますが、あの人がいてこそ今の日本がある・・・という側面もあるわけで、観光資源として功績をもっと前面に出してアピールしてもよいのかと思います。賛否両論あってなかなか複雑なようですが、他に代わるモノが無いのであれば、何もしないよりは良いかと。

事実、わたし自身、田沼意次を知るようになって、凄い人だなぁ~と評価が変わりましたし、あのまま大噴火や飢饉が無かったら・・・と考えてしまうほどです。蝦夷地開発や国防においても、飛び抜けて視野が広い人物に思えますし、ろくな地図も無かったあの時代にあって、あの感覚は凄いと思います。
人それぞれ考え方はありますが、みなさんも一度田沼意次という人物を見直す意味でも、相良の町を訪れてみて下さい!

そしてもう一つご紹介したのが、「相良油田油井」です。
静岡県に油田が?と驚かれた方も多いかと思いますが、明治時代の1872年に、村上正局により発見され、以後戦後の1955年まで、良質な油が掘られていました。
最盛期には、手彫り・機械堀りの井戸を合わせ、240余りもあったとされ、太平洋側では唯一の油田となっていました。

そんな相良油田ですが、現在ロータリー式の井戸が一基残されており、毎年イベントで実際に油を掘り出す作業が行われます。今年も5月18日に行われ、その時に掘り出した油が、近くの「油田の里公園」に展示されていますが、紅茶やブランデーのように済んだ油で、輸入されているドロドロした廃油のようなものとは全く異なるものです。
軽質で凄く綺麗で、精製せずにクルマが動くとも言われています。

また「油田の里公園」では、相良油田の歴史について学べるほか、バーベキューコーナーやアスレチックなどがあり、里山の雰囲気が残る中、のんびりした時が過ごせます。

9月14日からは、土日祝日限定ですが、観光くり園もオープンし、栗拾いが楽しめます。この時期らしいイベントですので、家族揃って相良の町で、秋を楽しんでみては・・・

番組最後にお届けした曲は、Mi-Keで「想い出の九十九里浜」でした。