沼津市観光ガイド『宝泉寺』

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Vol . 966

宝泉寺

Heda

戸田

2つ星評価

宝泉寺

Presented By 星★聖

宝泉寺(戸田)

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宝泉寺をご覧の皆様へ

星★聖の宝泉寺の3つのポイント

ロシア使節プチャーチン提督の宿所となったお寺だよ!

1854年12月23日(嘉永7年11月4日)に発生した安政東海地震(広義では安政の大地震の一部)により、日露交渉のために下田港に停泊していたロシア使節プチャーチン提督一行のディアナ号が大破し、修理のために戸田港に曳航中に強い西風に煽られ漂流し富士市の三四軒屋沖に沈没。そのため代船として、日本初の本格的洋式帆船となる「ヘダ号」が建造されることになった。船が完成し出港するまでの1854年1月24日~1855年5月8日(安政元年12月7日~安政2年3月22日)の間、ロシアの上官が滞在したのがここ宝泉寺で、本堂左手の奥の間にプチャーチン提督が、右手の奥の間にアレキサンドル・スリゲート公爵が滞在したという。残りの士官は本善寺に、水兵は4棟の長屋を建てて戸田に滞在した。
1855年5月8日(安政2年3月22日)に第2陣としてプチャーチン一行がひっそりと日本を去った後、乗船しきれずに戸田に残された第3陣は、1855年7月14日(安政2年6月1日)にグレタ号で出港するもイギリスに拿捕されている。

ロシア水兵の墓に手を合わせよう!

境内に戸田に滞在中に亡くなった2人の露国人水兵の墓がある。丸い石塔は1855年6月12日(安政2年4月28日)に食中毒で亡くなったワシリー・ヤーシカ・バケエフの墓で、もう一方の墓碑は、1855年5月11日(安政2年3月25日)に病死したアレクセイ・ポトチキンのもの。もともと牛ヶ洞に埋葬され墓石も建てられていたが水害にて流失したため、1969年6月に当時の戸田村村長の山田三郎が2人を合祀し、新たに「露国人之墓」として墓碑を建て、旧ソ連大使臨席のもとで除幕式・法要を執り行った。過去帳などの記録では、2人とも第2陣としてプチャーチンが日本を去った後に亡くなったこととなる。
例年夏に開催される「戸田港まつり」では、戸田港中央桟橋からプチャーチンロードを通り、この2人の露国人水兵が眠る宝泉寺までパレードが行われ、墓前にて供養祭が執り行われる。

「宝泉寺のしだれ桜」として知られる桜の名所だよ!

本堂右手の斜面に見事な一本桜の枝垂桜があり、「宝泉寺のしだれ桜」として知られているよ!

宝泉寺の見どころ

温泉マイスター 星★聖の署名 星★聖(ほし たかし)

宝泉寺の見どころ

林光山 宝泉寺

宝泉寺のシダレザクラ

宝泉寺のしだれ桜

宝泉寺のロシア水兵の墓・露国人之墓

宝泉寺の地図