静岡市観光ガイド明治のトンネル

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Vol . 15

明治のトンネル

Shizuoka

静岡

明治のトンネルは、3つ星の星評価

Meiji Tunnel

明治のトンネル

Presented By 星★聖

明治のトンネル(静岡)

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明治のトンネルをご覧の皆様へ

明治のトンネルめいじのとんねるとは?

静岡県静岡市と藤枝市岡部町との市境となる宇津ノ谷峠うつのやとうげにある、明治・大正・昭和・平成と時代ごとの4つのトンネルが並行してある中の1つ。

東海道にあるトンネルで、道銭徴収が認められた日本初の有料トンネルで、1997年5月29日には、現役トンネルとして日本初の国の登録有形文化財にも指定されている。

1874年5月から掘削工事が始められ、総工費24,817円96銭をかけ1876年6月に完成、同年11月に開通した、全長223m 幅5.4m 高さ3.6mのトンネルで、その後火災による崩落などもあり、現在のトンネルは、全長203m 幅4.0m 高さ3.9mとなっている。

星★聖の名勝・史跡探訪記

明治のトンネル 探訪記

宇津ノ谷峠にある、4つのトンネル!

静岡県で観光名所となっているトンネルと言えば、伊豆の天城山隧道こと「旧天城トンネル」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか?

明治のトンネル小説『伊豆の踊子』で知られる、石造りの美しさが際立つ観光名所となっているトンネルなのですが、それに負けず劣らず風情ある佇まいを見せているのが、1997年5月29日に、現役のトンネルとしては、日本で初めて国の登録有形文化財に指定された『明治のトンネル』です。

明治のトンネルは、静岡市と藤枝市岡部町の間にある「宇津ノ谷峠」(うつのやとうげ)の、旧東海道にあるトンネルで、ちょうど2市の境界線上に位置するトンネルとなっています。

名前が名前なのでお分かりのように、この明治のトンネルは、明治時代の1876年に造られたトンネルとなっています。

宇津ノ谷峠には、この明治のトンネルの他に、便宜的に「大正のトンネル」「昭和のトンネル」「平成のトンネル」と呼ばれる、時代が異なる3つのトンネルが平行してあります。

時代ごとに、このようにトンネルが残っていること自体とても珍しいことなのですが、そんな中で風情ある佇まいとともに、一際輝いて見えるトンネルとなっているのが、この『明治のトンネル』です。


秀吉により開かれた道

この明治のトンネルがある宇津ノ谷峠は、「宇津の山」として、平安時代の文学作品である『伊勢物語』をはじめとした古典作品の中に、数多く登場する場所となっています。

特にこの明治のトンネルとは、国道1号を挟んで反対側の山中にある「蔦の細道」(つたのほそみち)は、宇津の山の峠越えの道として歌に詠まれるなど、古くから広く知られた道となっていました。

現在も、詩歌に詠まれた頃の面影を感じさせる蔦の細道ですが、江戸時代になって幕府により宿駅制が布かれると、東海道のルートとして、小田原征伐の際に軍勢を進めるために豊臣秀吉が切り開いたとされる、明治のトンネルがある県道側の道が、官道として整備されていきました。

明治のトンネルの静岡口と岡部口道幅2間(約3.64m)を基本として整備されていったこの旧東海道の峠道の片側には、側溝らしきものも備えられていました。

また、標高162mのてっぺん付近を通過するこの宇津ノ谷峠の旧東海道は、途中斜面の崩落などの危険を伴う箇所が数多く存在していたため、街道脇には、その頃築かれたと思われる防護用の石垣が今も所々残されています。

そんな難所となっていた宇津ノ谷峠に、当時村長であった宮崎総五の呼びかけに賛同した、杉山喜平次・水谷九郎平・仁藤延吉ら7人による結社の手により、1874年5月から掘削工事が始められたのが、この明治のトンネルでした。

労役人夫数が延べ15万人にも及び、総工費24,817円96銭をかけて掘られたこのトンネルは、1876年6月に完成し、同年11月には、それまでの峠道に代わり東海道本道として利用されるようになりました。


2つの顔を持っていた、明治のトンネル!

標高115mと、これまでの峠道より、50m近く低い位置を通ることとなったこの明治のトンネルは、峠越えの危険や労力を大幅に減らすものとなりましたが、この完成した当初のトンネルには、いくつかの特徴的な事柄がありました。

明治のトンネルの工法の違いそのひとつが、東西の出入り口の工法の違いでした。

この明治のトンネルの岡部口側は、比較的地盤が良かったため、トンネル内を角材で覆うという「木角合掌造り」という工法がとられました。

それに対して、反対側の静岡口側から20m近くまでは、地盤がかなり悪く崩落の危険性が高かったため「青石造り」という石組み工法がとられました。

これにより2つの顔を持つこととなった当初の明治のトンネルは、東西で全く異なる印象を持つトンネルとなりました。

そしてさらには、その2つの顔を持つトンネルの暗闇の中に、通った者しか知りえない秘密が隠されていました。


くの字に曲がったトンネル・・・

この当初の明治のトンネルの、通った者しか知りえない秘密とは?・・・、それは、このトンネルの形状にありました。

明治のトンネルの当初と現在の比較図全長223m幅5.4m高さ3.6mという数字には表れない明治のトンネルの秘密とは、両サイドから進められた掘削作業が、出合うはずの場所で出合うことができず、高低差を生じるとともに、ちょうど中央付近でくの字に折れ曲がるという、現代の感覚からすれば、なんともお粗末で考えられないような姿のトンネルとなっていました。

これには、当時の掘削技術の未熟さもさることながら、地元の和算家であった古谷道生をはじめとした門人による、根本的な測量技術のレベルの低さもあり、さらには予算的な問題も重なり、当初の計画とは大きく異なる姿のトンネルが誕生してしまいました。

後に、この明治のトンネルにお出ましになられた明治天皇も、中央付近はあまりにも危険なために下馬された…という記録が残っているほどの出来栄えで、開通はしたものの、トンネルとしてはかなりひどい状況だったことが、当時の記録からうかがい知れます。

また、危険を伴う複雑な形をしたトンネルとなってしまったために、トンネル入口には太陽光をトンネル内へと採り入れるための反射鏡が設置され、内部には50ものカンテラが吊るされていました。

ですが、ただでさえ暗いトンネル内部において、入口から出口が全く見えないこのくの字のトンネルは、中央付近に行くと顔を伺うことすら出来なかったという記述が、明治天皇の御幸に同行した記者により残されています。

きっと、歩いていてぶつかり合ったり、転んだり、モノを落として困ったり…と、いろんな事がこのトンネル内で起きていたのでしょう。


生まれ変わった「明治のトンネル」

そんな明治のトンネルでしたが、完成から20年が経った1896年に、この闇を照らしていたカンテラが原因となって火災が発生してしまいました。

明治のトンネルの内部写真この火災により、トンネルの一部枠組みが崩落してしまい、通行そのものが出来なくなってしまいました。

それから何年かは、不本意ながら、また元の峠道を行くことを強いられる生活となりました。

現代においてもそうですが、完成した当初は有難味を感じていても、やがて当たり前となり生活に溶け込んでしまったものは、失ってみて初めてその便利さに気付くことになります。

余談ですが、毎日のように通行していた静岡市と焼津市を結んでいた大崩海岸の道路が、2013年に崩落して、新しいトンネルが完成するまでの3年半通れなかった時に、私はこのことを痛感しました。

多かれ少なかれ、皆さんも思い当たる節があるのではないでしょうか?

明治のトンネルの題字と要石の比較そんな痛い時期を乗り越えて、1904年に修復され生まれ変わった明治のトンネルは、それまでのくの字から一直線なルートへと変更されるとともに、内壁も耐火性のある赤レンガで覆いつくされた、実に美しいトンネルへと変貌を遂げました。

現存するトンネルは、この修復後のもので、全長203m幅4.0m高さ3.9mとなった明治のトンネルは、現在、色合い豊かな赤レンガの重みのある内壁と、トンネル内を照らすやさしい灯りによって、文明開化の匂いが漂う、実に趣のある空間となっています。

残念ながら静岡口岡部口を比較してみても、伊豆の旧天城トンネルの両入口に見られるような、トンネル入口に掲げられた題字やアーチを支える要石などに、凝った凹凸デザインの違いなどは見られませんが、それでも充分に造りこまれた意匠をしており、当時の技術レベルの高さを感じさせます。

是非通り抜ける際には、静岡口・岡部口の頭上の意匠にも注目してみて下さい!


日本初!の有料トンネル

そんな面白いエピソードが残る明治のトンネルですが、最も特徴的なのは、前述の宮崎総五ら7名が、工事費用の6割以上を出資したこともあり、開通とともに50年間の道銭徴収が認められた、日本初!の有料トンネルだったということでした。

静岡口側の明治のトンネル入口前広場今でこそ有料トンネルは当たり前のように存在していますが、このトンネルが出来る以前にそのような仕組みはなく、また民間主導のトンネル事業自体、とても珍しいものでした。

通行料は、当初、大人が2厘でしたが、後に値上がりして6厘となり、大荷車が3銭2厘、荷馬が1銭2厘、人力車や籠が1銭5厘となっていました。

開通時の明治初期の貨幣価値で言うと、そば一杯が5厘~1銭だった時代ですので、大人の通行料は、大体150円~200円といったところでしょうか。

開通から利便性とともに、大いに賑わいを見せた明治のトンネルでしたが、時代が変遷して行く中1889年4月に、静岡~浜松間に鉄道が開通すると、その主役の座を追われ、やがて利用者も減っていくようになりました。

その後、自動車社会が訪れると、交通の主役は、人馬から車へと移って行き、時代の移り変わりとともに、この宇津ノ谷峠を抜けるトンネルも変遷していきました。

宇津ノ谷峠の4つのトンネル図冒頭でご紹介したとおり、この宇津ノ谷峠には、明治大正昭和平成と、4つの時代の異なるトンネルが造られましたが、すべて現存し通行可能となっていることから、時代時代の道路交通の歴史を直に学べる場所として、とても貴重な場所となっています。

その中で、やはり一番趣があり芸術性を感じるのは、この明治のトンネルであり、他のトンネルを寄せ付けない魅力がここにはあります。

2018年に公開された、阿部寛さん主演の「新参者」シリーズの完結編となった映画『祈りの幕が下りる時』の中でも、娘の殺人を背負い別人となり訣別することとなった親子の悲しい別れのシーンで登場し、温かい光を放つランプに照らされた石造りのトンネルが、何とも言えぬ雰囲気を醸し出していました。

平日は、ほとんど人影も無い寂しい場所となっていますが、是非一度、文明開化の匂いが漂うこの『明治のトンネル』に足を運んでみてください。

星★聖のここがポイント!

匠の技が光る、トンネルの造りをとくとご覧あれ!

赤レンガ造の美しいトンネル内を歩きながら、上下左右の色合いや造りの違いを確かめよう!

建造当時の姿を想像しながら歩いてみよう!

どこからくの字になっていたのか?高低差は?火災で焼けたのは?どのくらい暗かったのか?など、想像を膨らませながら歩こう!

両サイドの入口周辺の造りに注目!

静岡口と岡部口の入口の造りや色合い・雰囲気の違いなどを楽しもう!

明治のトンネル 編

国内旅行業務管理者・温泉マイスター 星★聖(ほし たかし)の署名画像です 星★聖(ほし たかし)

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名称 明治のトンネル
読み方 めいじのとんねる
郵便番号 〒421-0105
所在地 静岡市駿河区宇津ノ谷
アクセス ①JR東海道線「静岡駅」
⇒静鉄バス「宇津ノ谷入口」下車 徒歩15分
②JR東海道線「藤枝駅」
⇒静鉄バス「坂下」下車 徒歩25分
お問合せ 054-251-5880(するが企画観光局)
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