大悟庵とは?
静岡県富士宮市にある、山号を「明星山」と称し、駿河三大布観音の1つである十一面観世音菩薩を御本尊とする曹洞宗寺院。
駿河三十三観音霊場の第27番札所で、平安時代の812年に、弘法大師により創建された真言宗寺院の「福興寺」がその始まり。その際、白絹に観音像を描き奉安したとされる。
その後衰退するも、1571年に両月禅師が曹洞宗へと改宗、「大悟庵」と改称し再興。御詠歌は『富士おろし 迷いの雲を ふき払う 月日とともに おがむ星山』。
毎年3月の第3日曜日に、裏手の斜面を利用して、観音堂にたたまれ安置されている、140反(縦30m×横15m)の白布に墨で描かれた御本尊である十一面観世音菩薩の御開帳が行われる。弘法大師ゆかりの布観音で、約70年ごとに書き改められている。
また本堂と観音堂の間には、江戸時代に「星山大明神」と呼ばれ、日本最古で唯一の織物・製紙の神と言われる健羽雷神を祀る「倭文神社」が建つ。
大悟庵の見所
明星山 大悟庵
寺伝では、812年に弘法大師が白絹に観音像を描き奉安し、真言宗寺院の福興寺を創建したのがその始まりという。1571年に、両月禅師にて曹洞宗へと改宗・改称され大悟庵となった。
アジサイの名所
毎年初夏の6月~7月頃に訪れると、境内を彩る白や青・紫などの色とりどりのアジサイの花が出迎えてくれる。その存在を消すかの如く、いつもは木々に埋もれ斜面と同化し静かに佇む境内が、少し違った感じとなる。
観音堂
「駿河三十三観音霊場」の第27番札所として知られる大悟庵だが、「駿河・伊豆両国横道三十三観音霊場」の第20番、「富士横道観音霊場」の第35番の札所にもなっている。
御本尊
普段は御本尊である十一面観世音菩薩は、中央の厨子の御簾の向こうにたたまれて安置されており、これを拝むかたちとなる。弘法大師ゆかりの布観音で、約70年ごとに書き改められているという。
駿河三大布観音の御開帳
毎年3月の第3日曜日になると観音堂の裏手の斜面にて、約30m×15mの白布に墨で描かれた十一面観世音菩薩の御開帳が行われる。2022年までは、富士市の「新豊院」の大観音大祭も同じ日に開催されることが多く、一日で二ヶ所の布観音をお参り出来たが、新豊院が11月へと変更になったため残念ながら今はできない。また毎年4月には、沼津の「長谷寺」でも同じような「春の観音大祭」がある。
十一面観世音菩薩
正面に設けられた焼香台で手を合わせていると、時折風にあおられた観音さまが、まるで諭すかのようにこちらに迫ってくる。
河津桜!?
隣の墓地と比較すると、その大きさがよくわかる。横に咲く河津桜は色が薄く、私も不思議で尋ねたのだが、住職曰く、よく何桜?と尋ねられると。
元格地大悟庵御朱印地ノ図
1590年に、豊臣秀吉より5万坪の境内地を賜ったとされる大悟庵。その時の境内の様子が細かく見てとれる。右手には観音霊場の札所としての記述が、最下部には開創からの寺の歴史が記されている。
御神木
幹周5.9mで推定樹齢300年超のスギの古木で、富士山本宮浅間大社の大宮司を継承する社家だった、富士氏ゆかりの倭文神社の御神木となっている。かつては樹高30m程だったが、枯れてきたこともあり現在は上部が伐採されている。
倭文神社(しどりじんじゃ)
神仏習合の名残だろうか、境内に富士郡三座の1つで、この地方らしく織物・製紙の神である健羽雷神を祀る、江戸時代に星山大明神と呼ばれた倭文神社が建つ。かつては富士山本宮浅間大社の摂社だった。
水屋
1937年太平洋戦争に向けて戦火が拡大する中、出征にあたり地元の青年団員8名が倭文神社に奉納した水鉢を、1980年に慰霊碑を建立した際の余剰金を使用して、水屋として蘇らせたもの。
巨大な布観音が御本尊なんだよ!
駿河三大布観音の1つである白布に描かれた十一面観世音菩薩が御本尊で、普段は観音堂の御簾の奥に畳まれているよ!
3月第3日曜日に御開帳されるよ!
観音堂裏手の斜面で、縦30m×横15mの御本尊である十一面観世音菩薩にお目にかかれるよ!
倭文神社のお参りも忘れずにね!
かつて星山大明神と呼ばれた富士郡三座の1つだよ!魂のこめられた巨大な水鉢にも注目!
大悟庵 編