| 静岡市観光ガイド 『薩た峠』 | ||||||||||
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| 薩た峠(静岡市) | ||||||||||
| ★『薩た峠』をご覧になるにあたって | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「小倉百人一首」にも登場し、ご存知の方も多いであろう万葉歌人の山部赤人が詠んだ、「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」の歌の舞台となった場所が、ここ『薩た峠』と言われています。(※本来は「 古くは「磐城山(岩木山)」と言われ、「岩木山 ただ越え来ませ いほさきの こぬみの浜に 我たらまたむ」と万葉集にも登場するこの標高244mの「薩た山」は、鎌倉時代の1185年に、由比の倉沢の浜で、網にかかり引き上げられた「地蔵菩薩」(薩た地蔵)を、この崖の上に祀ったことがその名前の由来とされています。 この地蔵菩薩は、現在興津にある「東勝院」に安置されており、3年に一度御開帳されているのですが、そんな「薩た山」を抜ける峠道が通ったことから、いつしか「薩た峠」と呼ばれるようになりました。 この「薩た峠」を行く道が開かれたのは、江戸時代の1655年で、この年の9月に「朝鮮通信使」を迎えるにあたり、海際の危険な道を通すわけにはいかないと、幕府の威信にかけわざわざこの峠道が造られたとされています。 この「中道」が造られるまでの東海道はというと、波が打ち寄せては引くという危険な海際の道を行く「下道」しかなかったため、現在でも一番海沿いを走る東名高速の下り線では、高波により通行止めになることがあるように、打ち寄せる波の合間を縫って通り抜けるという、時に命がけの道ともなっていました。 そんなことから、道行く親子でも、親は子供を構っておられず、子供も親のことなど構っていられないと、我先に・・・となることから、いつしか「親知らず子知らず」と言われるようになりました。 この「親知らず子知らず」という言葉は、通常上記のような意味あいで使われることが多いのですが、この由比の町には、古くからこの「親知らず子知らず」に纏わるちょっと違った言い伝えが残っています。 このお話には続きがあり、翌朝孝行息子の安否が気になったおばあさんが、峠を越え隣町の興津のこの者の親のもとへ行くと、庭先に昨日見た息子の着物が干してあったため、無事に着いたのか・・・と親に尋ねたところ、この親の顔が豹変し、自らが襲った獲物が息子だったことを悟り、「薩た峠」から息子の後を追って身を投げたというものです。 この言い伝えの真偽はわかりませんが、いずれにせよこの「薩た峠」が、いろんな意味で親子仲良く笑顔で通れるような場所ではなかったことは確かなようです。 同じく「親知らず子知らず」と呼ばれる、静岡市から焼津市に抜ける「大崩海岸」や、その名もズバリの新潟県の「親不知」などとともに、この「薩た峠」が、危険な場所として道行く旅人に恐れられていたことは間違いないようです。 そんな峠の印象は、広く国民が知るところとなり、「上道」が主流となっていた江戸末期の1862年、和宮様が将軍徳川家茂公へ嫁ぐ際にも、この「薩た峠」の存在が、「東海道」ではなく「中仙道」経由での江戸への輿入れへを促したとされています。 新潟県の「親不知」は、崖の横っ腹を肋骨状のトンネルで抜けていくような道で、その難所ぶりが、車を走らせていてもひしひしと感じられる場所であり、また「大崩海岸」も、実際に崩落したトンネル跡が今も残っており、見るからに難所であったことが連想されるのに対し、この「薩た峠」は、崖下の平坦部に道が走っており、車で通る限り、東名高速こそ、前述の高波による通行止めの危険性はあるものの、国道や鉄道などで通過する分には、全くと言ってよいほど難所という感じはなく、言われなければ、何事もなく通り過ぎてしまうような場所となっています。 そんなことから、海際といっても、そんな「親知らず子知らず」と言うほどではなく、新潟の「親不知」や「大崩海岸」に比べたら・・・、ましてわざわざ崖の上に新しい道など造らなくても・・・と思われる方も多いかと思います。 なんでわざわざ崖の上に新しい道を造ったのか? 実際にご自身で現在のこの「薩た峠」を歩かれたことがある方ならば、尚更そう感じることかと思いますし、むしろそう感じる方が普通かと思いますが、実はそれにはちゃんとした訳があるのです。 ここではじめて納得!といった感じなのですが、実際には陸地が出来た後も、難所としての性格に変わりはなく、大正・昭和と幾度が崖崩れを起こし甚大なる被害をもたらせており、東海道線が呑み込まれ運行不能となったこともありました。 現在でも、崖崩れや地滑りなどの対策が難しい地区として、お役所も頭を抱える場所となっており、今も決して安心できる場所というわけではなさそうです。 そんな「薩た峠」ですが、あまり知られてはいないのですが、現在でも通り抜けるスペースが限られているこの「薩た峠」周辺は、古より交通の要所となっており、戦においても防衛線としてこの場所が幾度となく選ばれてきました。 後世に名を燦々と輝かせるような名勝負があったわけではないため、それほどメジャーな戦地として名が残っているわけではありませんが、南北朝時代の後の将軍 足利尊氏が、弟 足利直義と対立した「観応の擾乱」にて、1351年に追討のため戦をしたとされるのがこの「薩た峠」周辺であり、1568年12月12日に、武田信玄の猛攻を食い止めるべく、今川氏真が興津の「清見寺」に陣を張り迎え撃ったのもこの「薩た峠」周辺でした。 またこの戦の際に、敗走を続ける今川軍を助けるべく出陣した北条氏康が、武田と対峙したのも、またこの「薩た峠」でした。 現在、その史料から知りえる情報は限られていますが、「薩た峠」が歴史上幾度か、その攻防線状にあったことは、紛れもない事実のようです。 そんな「薩た峠」を、有名にした1枚の絵があります。 有名にした人物は「歌川広重」、「東海道五十三次」で知られるあの広重ですが、わたしにとっても、この広重の存在は大きなものでした。 幼い頃、永谷園のお茶漬けに、広重の「東海道五十三次」の保永堂版の浮世絵が付録で付いていて、よくどんな絵が入っているのか楽しみにしていたものですが、その絵が「東海道五十三次」であり、浮世絵であるということを知ったのは、それからもう何年も後のことでしたが、「広重」という名は、この時覚えたような気がします。 そんな幼い頃の記憶の中で、後に頭のどこかに残り忘れられない記憶となっていた絵が、いくつかありました。 その1枚が、ご存知「由井」の絵でありこの「薩た峠」でした。 よくあることですが、この広重の時代には、由比の町は、「由井」とか「油井」「湯井」など、様々に表されており、「東海道五十三次」も「由井」という感じが使われていますが、1899年に町制が施行されるとともに、「由比」へと統一されていきました。 そんな「東海道五十三次」の55枚の絵の中で、他にも「沼津」の天狗や「蒲原」の雪景色、飛び出た富士山が強烈なインパクトとなっている「原」など、何枚かはその絵の特徴的な面白さから、うっすら記憶にあったようですが、この「薩た峠」だけは、その独特の構図の面白さからか、また絵全体の素晴らしさからか、構図そのものを覚えていたような気がします。 海岸線より遥か高い絵画の左端の崖の上に、へっぴり腰で転げ落ちないように気をつけながら富士山を窺う人物が描かれたこの作品の構図は、現在の「薩た峠」のハイキングコースそのもの・・・と言う感じなのですが、子ども心にこの構図が気に入ったのかどうかはハッキリしませんが、全体像として覚えていたのは確かなようです。 子供の頃の記憶は不思議なもので、後に「なんでこんなものを?」と思うものをハッキリ覚えていたりするものですが、この広重の「由井」の絵は、まさにそんな感じでした。 「東海道五十三次」で「薩た峠」を描いた作品には、この保永堂版の他に隷書版などがあるのですが、こちらは保永堂版とは反対方向の、富士山を背に「薩た峠」の上り口を目前にした、西倉沢の茶屋の風景が描かれています。 崖の上部の輪郭は大胆にカットされ、海際のグランドレベルで、切り立った崖の様子や、振り返り富士山を眺める旅人などが描かれており、保永堂版の高い視点から正面に富士山、眼下に駿河湾という構図とは対照的な作品となっています。 広重作品は、個人的には大のお気に入りで、特に「名所江戸百景」は、旅行写真を撮るものとして、その場に行きたくなる衝動を生み出す作品として、理想に近いものがあります。 どれも現地を訪れたくなるものばかりであり、江戸時代における「風景画」そのものが、今でいう観光ガイドブックのような存在でもありましたから、そう考えると尚更この作品の素晴らしさが実感できます。 「東海道五十三次」も、保永堂版、行書版、隷書版などの他にも、タイトルこそ微妙に異なりますが、同じく東海道を描いた作品が数多く存在し、それらを見比べる楽しさがあり、とても興味深いものとなっています。 この由比の町には、そんな風景画を数多く収蔵する「東海道広重美術館」もありますので、興味のある方はそちらに立ち寄ってみてください。 富士山をバックに、崖と海との限られたスペースに、鉄道・国道・高速道路の3つの線が走るお馴染の構図で知られるこの「薩た峠」ですが、この「薩た峠」を歩くに、どこからアクセスし楽しむのが一番か?と問われれば、多くの方が最も一般的な「東海道五十三次」を逆行するかたちでの、興津側から由比の町へと抜けるルートを薦めるのではないでしょうか。 JR興津駅より「一里塚」を横目に興津川を渡って歩いて行くと、やがて前述の「上道」と「中道」との分岐点にたどり着きます。 どちらを行っても「薩た峠」の入口とも言える駐車場までアクセス可能なのですが、近道なのは「中道」(約2.2km)で、興津駅から30分もあれば、峠の起点となる駐車場までたどり着けます。 この場所は、富士山が見えるだけでなく、春先には梅や桜が咲き、富士山との共演がとても絵になる場所でもあります。 まずはここで一休み・・・という感じになるのですが、そこから先は、多少のアップダウンはあるものの、ほとんど平坦なゆるやかな道となっており、眼下に広がる駿河湾の眺めを存分に楽しめます。 また、道端にはたくさんの草花が咲いており、それらを楽しんだりしながら、ゆっくりのんびり散策が楽しめます。 途中、「東海道標」から320mのところには「あずまや」があり、近くには広重の「薩た峠」の浮世絵などの説明書きがあります。 そんな「あずまや」を後にして、230m進むと、今度は道の左手に「展望台」が見えてきます。 この辺りは、わざわざ「展望台」に上らずとも、あの「薩た峠」の代表的な景色である、富士山をバックに、崖際を走るJRと国道、それをゆるやかな曲線を描きながらクロスしていく高速道路という、あの光景が眺められます。 まぁ個人の感覚の問題ですので、いろいろ場所や角度を変えながら、最高の一枚を撮影してみてください。 この由比側の駐車場は、峠道の高さまで車で上ってこられることから、車で訪れる方に人気なのですが、「薩た峠」を楽しむ・・・という点においては、個人的にはおすすめしません。 「薩た峠」という場所を体で感じられないばかりか、やはり最初に富士山を見る感動が薄れてしまうことや、メインスポットを最初に見てしまうという点においても、楽しみ方としてはおすすめできる道順ではありません。 体力に自信のない方や、時間に制限がある方は仕方ありませんが、この駐車場から「薩た峠」を楽しむということは、★ひとつ失うことになる気がします。 そんなこの由比側の駐車場ですが、この場所はかつて山之神が祀られていた場所だったこともあり、「山之神遺跡」と呼ばれており、駐車場内に石碑も建てられています。 「薩た峠」の名を広めたとされる、「蜀山人」こと「大田南畝」(おおたなんぽ)が詠んだ「山の神 さった峠の風景は 三下り半に かきもつくさじ」の歌は、1801年に、この地を訪れた蜀山人が、かつてこの場所にあった茶屋で詠んだとされています。 そんな駐車場からJR由比駅までは、3.5kmほどありますが、途中に「脇本陣倉沢柏屋」や「東海道名主の館 小池邸」「東海道あかりの博物館」、そして先程お話しした広重の「東海道五十三次」の隷書版にも登場している「望嶽亭藤屋」などがありますので、見所のある旅路となっています。 特に、この「望嶽亭藤屋」は、1867年に官軍に追われた山岡鉄舟が逃げ込んだ宿として知られており、その際に置き忘れたとされるピストルも残されている。 また桜えびが美味しく頂けるお店として人気の「くらさわや」も、この旅路の途中にありますので、立ち寄りながら歩いてみてください。 さらに由比駅を通り越し、旧東海道を約2kmほど歩いて行くと、「東海道広重美術館」や「東海道由比宿交流館」がある「由比本陣公園」へと着きます。 由比の町を存分に満喫したい方は、このまま足を伸ばしてみてください。 「薩た峠」の歩き方として、オーソドックスな興津側からのアプローチをご紹介しましたが、車で訪れる際も、同じように興津側の駐車場からアプローチすることができるのですが、そういうわたしのアプローチはというと、観光ガイドや案内マップにも載っていないので、正式なルートとしておすすめすることはできないのですが、実は峠のど真ん中から行く「薩た峠」がお気に入りとなっています。 わたしがご紹介するルートは、ちょうど東名高速の「さったトンネル」の興津側の入口上を横切る道を利用するもので、このトンネル入口のすぐそばに、駐車場と言ってはいけないのでしょうが、何台か車を止めるスペースがあり、そこに車を止めアクセスするというルートです。 この駐車スペースからは、ご丁寧に「薩た峠」のハイキングコースへと抜ける、階段状の遊歩道が整備されており、ここから上っていくと、ちょうど先程ご紹介した「あずまや」の横、由比側起点から460m、興津側起点から480mのところに出ます。 以前は、雨の日などは滑って危険な道だったのですが、現在は木枠によるひとり分の階段道がきれいに整備されており、少々キツく、昼間でも薄暗く人恋しい道ながら、みかん畑を横目に上っていけば、車を止め5分もあれば「あずまや」までたどり着けます。 わたしがなんでこの道が好きかと言えば、みなさん楽したいから・・・とお思いかもしれませんが、この階段道をえっちら上って行く間は、海も見えずしかも薄暗くおまけに結構足にくる道で、それなりに苦労するのですが、木々をかき分け峠道に出た瞬間一気に開け、眼前に駿河湾がドーン!と広がるその爽快な眺めが味わえることによります。 どのルートを進んでも、同じ眺めを望めるのですが、常に駿河湾を見ながら歩いて行くのと、茂みから海に出るのとはその感動が異なるわけで、この一気に開ける感覚を味わいたくて、最近は毎回このルートでアクセスしています。 それともう一つこのルートを選ぶ理由は、車でのアクセスの場合、当然ながら行って帰ってこなくてはならないわけで、どこに止めようが2回同じところを通るわけですが、この「あずまや」からスタートするルートが、わたしの感性にあっているようです。 日常生活と晴れの舞台とのオンオフが、一気に行える感じでハッキリしており、この「薩た峠」のど真ん中アクセスルートが止められません。 初めて「薩た峠」を訪れる方にはおすすめしませんが、二度三度と訪れている方は、是非一度挑戦してみてください。 「薩た峠」の楽しみと言えば、富士山や駿河湾の眺望や草木などの鑑賞、そしてもう一つおすすめなのが、道端にある「みかん」などを売っている基本的に無人の販売所です。 特にびわは、場所を選ぶ植物なのですが、この温暖な由比の気候が栽培に適しているようで、「特産由比びわ」として昔から知られています。 「薩た峠」のハイキングコースを歩いていけば、その周辺いたるところに、みかんやびわの木があることはお分かりになるかと思いますが、この地区のみかんやびわは特別に美味しいものとなっています。 こんなところで・・・と思わずに、売っていたら旅のお供にどれでもよいので買って食べてみてください。 家で食べるのと異なり、この「薩た峠」の絶景を前に食べるお味は、どれも格別に美味しく感じるはずです。 疲れた体にも良いので、是非とも食べてみてください。ただし、食べる前に、きちんとお金は入れてくださいよ! 現在「富士山」を世界遺産に・・・という活動がすすめられています。 霊峰富士が美しいビュースポットとして、この「薩た峠」が選ばれているわけですが、これほど、訪れるたびに表情を変える場所も珍しい・・・と思えるほどに、いつ来ても全く違った光景を目の当たりにできるのが、この「薩た峠」の魅力でもあります。 富士山ひとつとっても、雲があったり無かったり、その雲の掛かり方や山頂の雪の量、さらには朝焼けや夕焼けなど、日によってまちまちで、同じ状態の日は二度と来ないといってもよいほど変化を続けます。 さらには、明け方の力強い眺めもあれば、夕暮れ時の穏やかな眺め、暗くなっての国道や高速道路を走る車のヘッドライトが美しい夜景と、一日のうちでも多種多様な変化を見せてくれて、これに四季の草花が加わり、それらが組み合わさって生まれる「薩た峠」の景色は、無限大にあるといっても過言ではないほどの広がりをみせます。 是非とも季節を変え時間帯を変え、そして天候も変えながら、この「薩た峠」の景色を楽しんでみてください。 きっと訪れるたびに、またひとつ「薩た峠」の魅力を発見できるはずですよ! |
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