山葵栽培発祥の地とは?
静岡県静岡市葵区の北部、2012年に『ふじのくに美しく品格のある邑』に登録された秘境感漂う 有東木 地区にある、日本で最初に 山葵栽培 が行われたルーツとなるわさび田。
江戸時代の慶長年間に、有東木沢の源流となる佛谷山の森林に自生していた山葵を村人が採集し、この井戸頭の湧水地で栽培したのがその始まりとされ、以後この場所より全国へと山葵栽培が広まった。
現在このわさび田を含む有東木地区は『静岡水わさびの伝統栽培 ~発祥の地が伝える人とわさびの歴史~』として、2017年3月14日に 日本農業遺産 に、2018年3月9日には 世界農業遺産 に認定されている。

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山葵栽培発祥の地 の 見どころ
山葵栽培発祥の地 "有東木"
山葵 は日本独自の固有種で、山葵そのものは古くから日本全国で自生しており、奈良時代の『播磨国風土記』にもその名が登場しており、鎌倉時代にはすでに食べられていたようだ。
そんな山葵の栽培が始まったのが江戸時代初頭の慶長年間で、有東木沢の源流となる通称 "わさび山" と呼ばれる 佛谷山 の森林に自生していた山葵を村人が採集し、井戸頭 の湧水地で栽培したのがその始まりとされる。
その井戸頭の湧水地が、ここ『山葵栽培発祥の地』だ。この場所から全国に山葵栽培が広まって行ったというわけだ。
門外不出の"山葵"が伊豆へ!
1607年に、駿府に入城した大御所さまと言われた徳川家康に山葵を献上したところ、"天下の逸品" と賞され 門外不出の御法度品 とされたが、1744年に椎茸栽培の師として三島代官 斉藤喜六郎の命を受けこの地に使わされた伊豆天城の 板垣勘四郎 が、帰郷する際に山葵の苗を持ち帰り、以後伊豆半島に広がり独自の発展を遂げた。
長らく「弁当籠に忍ばせこっそり持ち帰った…」との伝承より、勝手に持ち帰ったと思っていたが、いろいろ話を聞くと、実際のところは懇願して椎茸栽培を指導したお礼に密かに譲り受けた…とか、恋仲になった村の娘がお礼に弁当籠に潜ませた…などの話が多く、公ではないものの一存で勝手に持ち帰ったわけではなかったようだ。
その後、有東木の庄屋だった 望月重太郎 が、明治時代の1877年8月21日~11月30日に東京の上野公園で開催され454,168人が来場した「第1回 内国勧業博覧会」に山葵を出品し、見事審査を通過し褒賞が授与され賞牌(メダル)が贈られたことにより、この有東木の山葵の知名度が上がった。
そして昭和時代になると、伊豆の上大見村の石屋だった平井熊太郎により1892年頃に考案され伊豆で普及していた「畳石式」田床が、戦後の1948年頃より「地沢式」に替わり有東木に普及し改良されたことで有東木のわさび田の収益性が高まり、質量の向上とともに安定供給も可能となった。
板垣勘四郎が持ち帰った山葵の苗が伊豆で花開き、今度は平井熊太郎が考案した畳石式田床が、時代を越えてお礼のように有東木にもたらされる…という、なんとも微笑ましいエピソードだ。
そんな山葵栽培発祥の地である "有東木" は、2017年3月14日に『静岡水わさびの伝統栽培 ~発祥の地が伝える人とわさびの歴史~』として 日本農業遺産 に認定されると、2018年3月9日には 世界農業遺産 にも認定され、4月19日の認定証の授与式を経て、名実ともに世界へ知られる山葵の里となった。

ココが正真正銘「山葵栽培発祥の地」!
"わさび栽培発祥の地"と言われる有東木の中で、最初に山葵栽培が行われたわさび田だよ!

門外不出の"山葵"が伊豆へ!
板垣勘四郎はこっそり山葵の苗を持ち帰ったけど、泥棒ではなかったよ!

日本農業遺産にして世界農業遺産だよ!
2018年3月9日に有東木は世界農業遺産『静岡水わさびの伝統栽培』の認定地域となったよ!
山葵栽培発祥の地 の 魅力


山葵栽培発祥の地 周辺の 温泉地‼





山葵栽培発祥の地 の おすすめ時期
1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
山葵栽培発祥の地 の 基本情報
名称 | 山葵栽培発祥の地 |
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読み方 | わさびさいばいはっしょうのち |
英訳 | The Birthplace of Wasabi Cultivation |
郵便番号 | 〒421-2303 |
所在地 | 静岡市葵区有東木 |
駐車場 | なし |
お問合せ | 054-253-1170(静岡市観光案内所) |
するナビ | 有東木の観光スポット |
アクセス | 現在地 からの ルート と 所要時間‼ |
登録・指定 | 『静岡水わさびの伝統栽培』が世界農業遺産 |
選定・表彰 | ふじのくに美しく品格のある邑 など |