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了仙寺 Vol.30 了仙寺(下田市)
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★「ギド・ヴェール」二ツ星
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了仙寺 下田
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『了仙寺』をご覧になるにあたって
これまたユニークなお寺「了仙寺」

日本古来のお寺を巡る時、大概は御本尊をはじめとした仏像や、伽藍建築、お庭や境内に咲く季節の花々などを楽しみに訪れるものですが、下田の町を訪れると、そんな古刹巡りとは一味違った楽しみがあります。

門下田の町には、歴史あるお寺がいくつもあるのですが、そんな中で、「玉泉寺」とともに、とてもバラエティーに富んだ楽しみ方が出来るお寺が、法順山了仙寺』(りょうせんじ)です。

「了仙寺」は、あのグリーン・ミシュランこと「ギド・ヴェール」にて二ツ星に輝いた、下田において最もその名が知られたお寺となっているとともに、日本の開国の歴史を語る上でも、欠かすことのできないお寺であり、開国の歴史を知る上でも、数々の歴史的資産が眠る、とても重要なお寺となっています。

また、「玉泉寺」同様、境内にはたくさんの見どころがあり、正直、ご本尊を拝むこと以外に目が行ってしまう・・・、そんなとてもユニークなお寺となっています。



♪愛の正長 技の蓮杖〜

「了仙寺」は、下田港を挟んで、ちょうど「玉泉寺」とは対極的な位置にあたる、下田の市街地近くにあります。

本堂日蓮宗のお寺であるこの「了仙寺」の創建は、江戸寛永年間の1635年で、三代将軍「徳川家光」公の命を受け、老齢の父に代わり下田奉行の職を代行していた「今村正長」により建てられました。

将軍直々に命が下るという、田舎のお寺にしては珍しい創建の歴史を持つその背景には、この「了仙寺」を開山した、伊東宇佐美出身で、「目の神様」と言われた、日蓮宗総本山 身延山(みのぶさん)「久遠寺」(くおんじ)の第11世法主であった、行学院日朝」が、遡ること20年前の1615年に、大阪夏の陣にて目を患われた、「徳川家康」公の願掛けを行い、見事祈願成就させたいきさつがあると言われています。

後に、二代目下田奉行の職に就いた今村正長は、廻船問屋の開設をはじめ、私財をなげうって武ケ浜防波堤を造るなど、下田の発展に寄与しました。

下田小学校の校歌の2番の冒頭で、「♪愛の正長 技の蓮杖〜」と、商業写真の開祖とされる、下田出身の「下岡蓮杖」(しもおかれんじょう)とともに唄われていることからも、いかにこの今村正長が下田の発展に貢献し、下田の人々に愛されてきたかがわかります。

本堂内部ちなみに、校歌の1番の冒頭では、「♪米使ペリーの来航に〜」と、「ペリー」が登場しています。

そんな下田の土台を築いた二代目下田奉行 今村正長以降、この「了仙寺」は、朱印状により幕府より所領が安堵された朱印地となっており、租税の免除など、幕府に手厚く保護され、将軍家との関係もより密接になっていきました。

このことは、「了仙寺」に残る数々の史料や、「了仙寺」の寺紋が、「三つ葉葵」(みつばあおい)であることからも窺い知れます。

現在この「了仙寺」境内には、この二代目下田奉行 「今村正長」、四代目 「今村正成」、五代目 「今村正信」の三基の「五輪塔」が建てられ供養されており、今尚多くの方々に慕われ続けています。



日本初の洋楽コンサート!
 
創建以後の200余年、この「了仙寺」がどのような歴史を刻んできたのかはわかりませんが、その名が歴史の表舞台に登場したのは、1854年3月に締結された「日米和親条約」の細則付加条約として結ばれた、「下田条約」の交渉・締結の場としてでした。

安政元年(1854)ペリー提督黒船陸戦隊調練の図(複製)この交渉にあたって下田に来航したのが、ご存知ペリー率いる黒船艦隊で、現在「ペリー艦隊来航記念碑」が建てられている、「下田公園」下の鼻黒の地より上陸すると、一路交渉の場となっていた、この「了仙寺」へとやってきました。

この時、ペリー一行が進んだ道が、現在「ペリーロード」として親しまれているのですが、そんなペリー一行は、兵士と軍楽隊を率い行進して「了仙寺」へと向ったとされており、境内においては、大砲や軍楽隊による軍事パレード的な閲兵式を行うとともに、戦闘訓練も披露したとの記録が残されています。

一般市民も見学が許されていたこのパレードにおいて、ペリー艦隊の軍楽隊により洋楽演奏が随時行われ、この出来事が、現在日本初洋楽コンサートであったとされています。

その時の模様は、黒船従軍画家であった「ハイネ」の手により、「安政元年(1854)ペリー提督黒船陸戦隊調練の図」として描かれており、現在、アメリカ海軍兵学校に所蔵されているのですが、その石版画を「了仙寺」が所蔵しており、その複製が「了仙寺」本堂の正面に掲げられています。

このハイネの絵は、実に色彩豊かに描かれており、戦闘訓練を見守る日本人の様子から、当時の「了仙寺」境内の様子まで、こと詳細にわかるものとなっています。

唐人お吉の籠ちなみに、本堂正面のこの「安政元年(1854)ペリー提督黒船陸戦隊調練の図」の横には、数奇な運命をたどった「唐人お吉」のが飾られています。

こちらもじっくり見て頂きたいのですが、話は戻りまして、毎年5月に行われる「黒船祭」では、この下田条約締結にちなんだ再現劇日米下田条約調印」が、「了仙寺」の境内にて演じられます。

実にユニークな再現劇となっており、司会進行を務める住職のトークも絶妙で、楽しい時を過ごすことができます。

この再現劇を目当てに訪れる方もいるほどですので、是非みなさんも「黒船祭」時に、「了仙寺」を訪れてみてください。

また「黒船サンセットコンサート」や市内目抜き通りでのパレードでは、米海軍第7艦隊音楽隊による素晴らしい演奏も行われます。

日本初の洋楽コンサートが行われた地 下田、ペリー来航時の下田の人々の気持ちになって、耳を傾けてみてはいかがですか。



異文化交流がスタート!

1854年5月15日に、先の下田条約が締結されると、この「了仙寺」も、アメリカ人の休息所として解放されることとなりました。

また、この下田条約には、様々な項目が含まれていたのですが、概して言うと、日本におけるアメリカ人の行動規則のようなものが多く、下田港内の一小島より7里認められていた行動範囲に、武家などへの立ち入りを禁止する制限を設けたり、鳥獣の狩猟の禁止、玉泉寺へ米人墓所を置くことなどが取り決められていました。

しかしながら、条約を裏返せば、細則以外の事が正式に認められたことでもあり、これにより、7里内は下田の町を自由に歩き回ることができるようになり、ここから下田の町における民間レベルでの異文化交流が始まりました。



日本最大のペリーと黒船コレクション!

この「了仙寺」には、そんな下田の町の異文化交流に関する様々な史料や、日本最大のペリーと黒船のコレクションを誇る「了仙寺宝物館」があります。

この宝物館は、失礼ながらその外観からは想像できないほど、実にすばらしいものとなっており、館内には、国内外で収集された3000点を超える所蔵品があり、それらの原本そのものが、2〜3ヶ月ごとに入れ替わり展示されています。

了仙寺宝物館中でも「黒船来航絵巻」・「黒船来航絵図」・「ペリー来航かわら版」など、黒船の巻物だけでも17巻所有しており、ペリーや黒船に関しては、日本最大のコレクションとなっています。

みなさんがよくご存知の教科書をはじめとした、テレビや書籍に登場する黒船やペリーの絵のほとんどが、この「了仙寺」所蔵のコレクションによるものとされています。

そんな宝物館の館内では、了仙寺関連文書をはじめ、幕末における異文化交流に関する史料や宝物展示なども行われているのですが、いくつか映像展示も行われており、開国の歴史や絵画の解説がわかりやすくされていて、大人はもちろんお子さんでも楽しく学べるようになっています。

また一風変わったものとしては、先代住職が収集されたという、性と宗教との関わりをテーマとした「秘仏コレクション」もあります。

こちらも非常に珍しいものばかりですので、是非ご覧になってみてください。

了仙寺参道宝物館という響きが悪いのかどうかはわかりませんが、意外に「了仙寺」の境内を訪れても、この宝物館は素通りして帰ってしまう方が多いようです。

拝観料がかかることもあるのでしょうが、どうもその言葉の響きの悪さや一般的な宝物館のイメージ、何の展示なのか具体的イメージがわかないことなどから、膨大な貴重な史料を見る機会を逸する方が多いように感じます。

これだけの原本史料の展示が見られることや、単なる文献の羅列ではなく、肉筆画や版画という視覚的にも楽しめる展示が多いことなど、その点も他史料館とは一線を画するだけに、とてももったいないと思います。

せめて「ペリー・黒船コレクションホール」なんていう感じで華やかにならないものか・・・と思ってしまいますが、お寺の境内ということや外観が伴わないこともありますから、やはり難しそうですね。



こんなところに、横穴遺跡!

そんな「了仙寺」の境内には、もうひとつ面白いものがあります。

それが、洞窟古墳である、「了仙寺横穴遺跡」です。

了仙寺横穴遺跡今から1300年以上前の古墳時代のものと思われる了仙寺横穴遺跡は、伊豆半島南部の古代のお墓のあり方を示す貴重な遺跡となっています。

古墳時代と言えば、前方後円墳をはじめ方墳、円墳で知られる時代ですが、この伊豆半島南部には、このような横穴式のお墓がいくつか散見されており、当時を知る上でも貴重な遺跡となっています。

現在入口は封鎖されており、中を窺い知ることはできませんが、住職のお話では、穴は約10mほどあり、先は浸食により反対側に抜けているとのことです。

了仙寺横穴遺跡からは、人骨と共に、装飾品である「勾玉」(まがたま)や水晶の切子玉、金銅製の腕輪・耳飾りなどの装身具、素焼の土器である「土師器」(はじき)や、窯で焼いた陶質土器の「須恵器」(すえき)などの副葬品が見つかっており、その副葬品の数の多さから、地元の有力者のお墓であったのでは・・・と推測されています。

現在これらは、市の方で管理されており、その一部が、道の駅開国下田みなと」の4階にある「ハーバーミュージアム」にて展示されています。



凄まじかった!安政東海地震

見どころいっぱいの「了仙寺」ですが、本堂へとお参りすべく、石段を上りながら、組手や梁に施された彫刻などを見上げていると、ひとつ気になるものが、目に飛び込んできます。

およそ徳川家ゆかりの三つ葉葵を掲げるこれだけのお寺には相応しくないものが、本堂の梁にある傷です。

本堂の梁の傷「了仙寺」ほどのお寺が、理由もなく正面の一番目立つ場所にある傷を、そのまま放置しているはずもなく、それとなく伺ってみると、この傷は、「安政東海地震」による大津波において、流されてきた六丁櫓の舟が衝突した跡だということです。

その位置の高さにもビックリですが、衝撃の凄まじさにも驚きです。

現在の「了仙寺」の海抜は、約5mとなっていますが、その当時の海抜は6〜7mだったとされています。

その「了仙寺」の本堂の床上約50pまで水が来たとされており、門は残ったものの、その構造の違いから「庫裡」(くり)は傾き、「鐘楼」や家財の多くは流失していったとの記録が残されています。

それもそのはずで、安政東海地震は、「安政の大地震」(安政江戸地震)・「安政南海地震」とともに、安政三大地震として語られる大地震で、ペリーが去った半年後、ロシアの「ディアナ」号が来航し、「福泉寺」にて、日露和親条約に向けての交渉が始まったその翌日に、この地震は起こりました。

1854年12月23日(安政元年11月4日)午前10時近くに、M8.4にも及ぶ安政東海地震が発生し、この地震により、下田の町には、4〜6mの津波が襲いかかり、停泊中の船舶も含め町は壊滅状態となりました。

了仙寺境内当時の文献によると、下田の町の実に99.5%に及ぶ、875軒中 871軒の家屋が被害を受けたとされ、この内、流失したものが841軒、半壊したのが30軒で、無事だった家屋は、高台に位置していたたった4軒だったとされています。

当時の下田の人口 3851人中、死者は99人だったとされ、これに外部から下田に滞在していた人も含め、合計 122人の方が命を落とされました。

家屋の被害状況に対して、死者が意外に少なかったことは、今でもいろんな意見があるようですが、町が港から奥まった位置にあるという地理的条件や、港町ならではの大災害における経験が働いたのでは・・・などの説が挙げられています。

このことを受け「了仙寺」では、本堂にその傷跡を残すとともに、境内に、安政東海地震による死者を弔う供養塔が建てられています。



もう一つの了仙寺

開国の歴史をはじめ、様々なものが凝縮され、とても魅力ある境内の「了仙寺」ですが、実は「了仙寺」には、もう一つの顔があります。

それが、「ジャスミン寺」としての一面です。

下田了仙寺ジャスミンと言っても、この「了仙寺」に咲くジャスミンは、「アメリカジャスミン」と言われる「匂い蕃茉莉」(ニオイバンマツリ)で、一般的にいうジャスミンとは系統が異なります。

一般的なジャスミンが、モクセイ科 ソケイ属に属するのに対して、このアメリカジャスミンは、ナス科 ブルンフェルシア属に属します。

また、一般的なジャスミンが、白い花を咲かせるのに対して、このアメリカジャスミンは、はじめ紫色の花を咲かせ、やがて白色へと変化していくため、一見2色の花を咲かせているように見えます。

このように、時が経つにつれ変化していくことから、英名では、「Yesterday - today - and - tomorrow」とも言われています。

そんなアメリカジャスミンが、この「了仙寺」の境内には、所狭しと植えられています。

昭和40年代頃から育てられ始め、年々その数が増えていったとされるこのアメリカジャスミンですが、今では国内でも有数の規模を誇っており、その数は実に1000株にも及んでいます。

毎年5月中旬になると、一斉に花を咲かせ、あたり一帯が不思議な香りに包まれるのですが、ちょうどその時期に合わせ境内では、「香りの花祭り」が行われます。

アメリカジャスミンと了仙寺本堂下田の町が「黒船祭」で賑わいを見せる時期でもあり、1年のうちで、最も多くの観光客が、この「了仙寺」へ訪れる時期でもありますが、このアメリカジャスミンは、7月〜10月にかけても三分〜五分咲き程度の花を咲かせるため、この時期にも楽しむことができます。

その美しさと珍しさからか、どうしても欲しくなった方が、枝を折っていかれることが過去にあったため、現在では、お持ち帰り用に、鉢植えの販売も行われています。

興味のある方は、是非ご購入頂き、ご自身で育ててみてください。

くれぐれも枝を折るなどの行為は慎んでください!

また運が良ければ、抽選で鉢植えが当たるプレゼント企画なども行っていたりしますので、詳しくはお出かけ前にホームページで確認してみてください。

たくさんの楽しみ方ができるお寺である「了仙寺」、是非あなたも一度、最も下田で有名なお寺であり、実にユニークなお寺であるこの「了仙寺」を訪ねてみてください。
- 了仙寺 -
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