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伊豆・駿河観光ガイド 『十三士の墓』 | ![]() |
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十三士の墓(伊豆市 修善寺) | ![]() |
★『十三士の墓』をご覧になるにあたって | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 伊豆で最も古い温泉場として知られる伊豆市にある「修善寺温泉」。 「源頼朝」の正妻にして、「尼将軍」と言われた「北条政子」が、実子でありながら、不憫な生涯を送らせてしまった、鎌倉幕府2代将軍「源頼家」公への、切なる想いから造らせた「指月殿」の境内には、「源頼家の墓」があるのですが、その傍らに、数百年の時を超え、やっとの思いで主君のそばにたどり着いた、13人の家臣たちがいました。 ![]() 2004年10月に、伊豆に上陸した台風22号は、各地に多大な被害をもたらしました。 この修善寺地区も例外ではなく、温泉街でも、がけ崩れや水害などが起こり、復旧まで時間のかかる被害もありました。 そんな中、市民生活だけでなく、史跡にも被害が及び、そのため移築を余儀なくされ、この「指月殿」の境内へと移ってきたのが、「十三士の墓」でした。 そんな忠義の士たちの墓は、この「指月殿」よりさらに200mほど東の高台の、「御庵洞」と呼ばれる場所に造られました。 「御庵洞」は、北条政子の父にして、頼家公を死に追いやった人物として知られる、鎌倉幕府初代執権「北条時政」や、頼家公が隠栖した庵室などがあった場所では・・・とされる所で、そこに「十三士の墓」が築かれていたのですが、前述の台風の被害にあい、天の巡り合わせか、2005年7月17日に、晴れて主君が眠るこの「指月殿」の境内へと移されることとなりました。 移築に際しては、修禅寺開創1200年の年ということもあり、「頼家祭り」が盛大に執り行われ、その中でこの「十三士の墓」の開眼供養も丁重に執り行われました。 数百年の時を超え、再びお傍に仕えることとなった13人の忠義の士。 この者たちが、今頼家公とどんな話をしているのか、どんな思いでいるのか・・・、目を閉じればその姿が見えてきそうですが、儚くも頼家公と同じ運命を辿ることとなったこの13人の霊は、移築後、以前にもまして修善寺の人々により厚く弔われており、災いを転じて福となす・・・という言い方をするのはとても失礼ながら、そんな感じでとても喜ばしく思えます。 |
- 十三士の墓 -![]() 『旅シュラン』とは?
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十三士の墓(伊豆市 修善寺) | ![]() |
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