| 伊豆市観光ガイド 『源頼家の墓』 | ||||||||||
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| 源頼家の墓(伊豆市 修善寺) | ||||||||||
| ★『源頼家の墓』をご覧になるにあたって | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
伊豆で最古の木造建築とされ、 あの世界的権威のグリーン・ミシュランこと「ギド・ヴェール」にて、見事二つ星に輝いた伊豆市 修善寺の「指月殿」の脇に、「指月殿」とは切っても切れない縁のある武将が眠っています。 源頼家は、1199年に、鎌倉幕府を開いたことで知られる、初代将軍「源頼朝」の後を受け、家督を継ぎ征夷大将軍として、鎌倉幕府の二代将軍となりました。 父からすべてを譲り受け、鎌倉幕府の実権を握るはずだった頼家公でしたが、家督を継いでからというもの、北条氏を中心とした豪族たちの反発から、配下の武将を掌握することができずにいました。 しだいに北条氏と袂を分かつこととなっていった頼家公は、北条氏をよく思っていなかった比企氏とともに復権を誓い試みたのですが、それも叶わず、逆に比企氏は「北条時政」により滅ぼされ、北条氏の逆鱗に触れた頼家公は、1204年7月18日、幽閉先の「修禅寺」の門前にあった「箱湯」にて、入浴中に暗殺されてしまいました。 享年23歳という短すぎる生涯を閉じることとなった頼家公の、不憫な一生を憐れみ、その冥福を祈り建てられたのが、実母でありながら自らの子を追い込むこととなった「北条政子」が建てた「指月殿」でした。 そしてその傍らに、ひっそりとこの「源頼家の墓」が築かれることとなりました。 「修禅寺」方面から行くと、桂川に架かる「虎溪橋」を渡り、石畳の道の先にある階段を上りきったところに、「指月殿」があります。 頼家公のお墓には、二基の五輪塔が建てられており、その前に、しっかりと「征夷大将軍左源頼家尊霊」という文字が刻まれた石碑が建てられているのですが、この輝かしい威厳ある石碑の文字とは裏腹に、この頼家公のお墓は、実に寂しげでひとりポツンと眠っている感じがします。 この石碑は、1704年に、当時の「修禅寺」第十六世住職「筏山智船」(ばっさんちせん)大和尚が、頼家の500周忌にあたり建てたものとされています。 毎年命日にあたる7月18日の前日には、地元の人々の手により「頼家忌」が営まれ、その週末には、源頼家公行列などが行われる「頼家祭り」にて、墓前供養が執り行われます。 この日ばかりは、かつての鎌倉幕府二代将軍としての輝きを見せる瞬間でもあるのですが、普段の日にひっそりと眠る頼家公にとって、せめてもの救いと感じられるのが、天が導いたかのように、自然災害にてやむなく近くに移ってきた、頼家公のかつての家臣であった「十三士の墓」の存在ではないでしょうか。 ちなみに、頼家公の墓所のとなりに建てられている、「谷川や 月のはこびも 九折(つづらおり)」の文字が刻まれた句碑は、地元と親交のあった江戸時代の戯作者「仮名垣魯文」(かながきろぶん)の句碑であり、1891年1月に、三洲圭山により建てられたものとなっています。 なかなかこの「源頼家の墓」を目当てにこの地に足を運ぶ方は、少ないことでしょうが、修善寺という街を知り、修善寺を語る上では外せないポイントでもありますので、しっかりとお参りしてみてください。 |
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